理化学研究所、「マイクロRNA」によるタンパク質合成阻害の仕組みを解明
「マイクロRNA」によるタンパク質合成阻害の仕組みを解明
- mRNAの翻訳が抑制される過程を試験管内で再現すことに成功 -
◇ポイント◇
・ マイクロRNAが翻訳の開始段階を阻害
・ 標的mRNAの尻尾「ポリAテール」を短縮し、翻訳を阻害
・ がんや脳神経形成の機構の解明にも貢献
理化学研究所(野依良治理事長)は、塩基の数がわずか21~22個と小さな「マイクロRNA」が、タンパク質の合成を阻害する過程を試験管内で再現し、その仕組みを解明することに成功しました。理研ゲノム科学総合研究センター(榊佳之センター長)タンパク質基盤研究グループの横山茂之プロジェクトディレクター、脇山素明上級研究員らの研究グループによる成果です。
タンパク質は、メッセンジャーRNA(mRNA)の情報をもとにリボソームによって合成されています。この合成過程は、mRNAの塩基配列に従ってタンパク質の構成要素であるアミノ酸を順番に連結するため、「翻訳」と呼びます。近年、マイクロRNAと呼ばれる短いRNAが、様々なタンパク質の合成を翻訳段階で阻害することが明らかになってきました。マイクロRNAは、複数のタンパク質とともにmiRNPという複合体を形成し、マイクロRNAの配列と部分的に相補的な配列を含む標的mRNAに作用して、翻訳を抑制すると考えられています。しかし、翻訳抑制機構の詳細は不明で、翻訳の開始段階の阻害、途中段階の阻害、あるいは合成されたタンパク質の急速な分解等の相対立するモデルが考えられていました。
研究グループは、マイクロRNAとともに機能することが知られている複数のタンパク質を発現させた哺乳類培養細胞から細胞抽出液を調製し、これを用いてマイクロRNAが標的mRNAの翻訳を抑制する過程を試験管内で再現することに成功しました。解析の結果、マイクロRNAを含む複合体miRNPは、標的mRNAの末端のポリAテール(※1)を短くし、先端のキャップ構造(※2)に依存する翻訳を抑制することを見いだしました。これらの結果は、マイクロRNAが翻訳の開始段階を阻害することを示します。
本研究で開発した方法は、マイクロRNAの研究を飛躍的に進めると期待されます。また、マイクロRNAが関与するがんの発症や記憶の形成機構等の解明にもつながります。この研究は、わが国が推進した「タンパク3000プロジェクト」の一環として行ったものであり、米国の学術雑誌『Genes & Development』8月1日号に掲載されます。
1. 背景
タンパク質は、数十から数千のアミノ酸が連なった鎖で、生命活動を担う主要な生体高分子です。アミノ酸配列の情報は、DNA上に塩基配列として記されています。このDNAの情報は、直接読み出されるわけではなく、いったんmRNAに転写されます。mRNAは、タンパク質合成装置である「リボソーム」と会合し、リボソームがmRNAの情報に従って順番にアミノ酸を連結していきます。この過程は、塩基配列からアミノ酸配列への変換であることから、「翻訳」と呼ばれています。
ヒトをはじめとする真核生物のほとんどのmRNAは、mRNAの先頭にあたる5'端から、キャップ構造(cap)、5'非翻訳領域、タンパク質をコードする領域、3'非翻訳領域、そして末尾の3'端にポリAテール、という並びで配列しています(図1)。リボソームは、mRNAの5'端付近に結合した後にmRNA上を移動して、タンパク質をコードする領域内の開始コドン(AUG)から終止コドン(STOP)までを翻訳し、タンパク質を合成します。また、キャップ構造や5'および3'非翻訳領域、ポリAテールは、ともに翻訳の調節に関わることがわかっています。
近年になって、翻訳の調節に短いRNA、「マイクロRNA」が関与することがわかりました。マイクロRNAは21~22塩基長の短いRNAで、これまでに数百種類以上見つかっています。このマイクロRNAは、Argonaute(アルゴノート)というタンパク質に取り込まれ、またアルゴノートは他の複数のタンパク質と結合して、巨大複合体miRNPを形成します。そして、miRNPは、3'非翻訳領域にマイクロRNAの配列と部分的に相補的な配列を含むmRNAに結合して(図2)、そのmRNAの翻訳を抑制すると考えられています。
マイクロRNAは、がん関連タンパク質の発現制御や脳のシナプス形成など、極めて広範囲の高次生命現象に関わることが明らかになりつつあり、マイクロRNAによる翻訳抑制機構の解明は、世界中で激しい競争になっています。これまでに、複数の研究グループが、翻訳の開始段階の阻害あるいは途中段階の阻害を示唆する実験結果を報告しています。また、翻訳して合成されたタンパク質が何らかの機構で急速に分解されるというモデルを提出するグループもあります。いずれのグループの実験も、培養細胞にDNAやRNAを導入する方法で行なわれていますが、このように生きた細胞を用いる実験は条件のコントロールが難しく、詳細な生化学的解析には不向きです。そこで、マイクロRNAの機能を研究する世界の多くのグループが、マイクロRNAによる翻訳抑制を試験管内で再現することを目指してきました。しかし、このような試験管内実験系の構築は大変困難で、翻訳抑制機構の詳細も不明のままでした。研究グループは、このマイクロRNAによる翻訳抑制を再現する試験管内実験系の確立に挑みました。
2. 研究手法と成果
(1) 翻訳抑制を再現する試験管内実験系の構築
研究グループは、let-7 というマイクロRNAによる翻訳抑制を再現する試験管内実験系を構築しました。まず、マイクロRNAとともに機能するいくつかのタンパク質を培養細胞HEK293Fで過剰発現させ、その細胞から抽出液を調製して、以下の実験を行ないました。
細胞内では、miRNP複合体が形成される前に、約60~70塩基のRNA(マイクロRNA前駆体)からマイクロRNAが切り出されます。そこで、まず化学合成した60塩基のlet-7マイクロRNA前駆体を抽出液に加えてみました。その結果、アルゴノートを過剰発現させた場合にのみlet-7の切り出しが進行することがわかりました。
そこで次に、この細胞抽出液を用いて、mRNAの翻訳実験を行ないました。この実験のために、3'非翻訳領域にlet-7の標的配列を6回繰り返した配列と、キャップ構造、ポリAテールを持つmRNAを人工的に作製しました。その結果、上記の抽出液ではlet-7の標的配列を持つmRNAの翻訳だけが50%以下に抑制されることがわかりました。次いで、アルゴノートの他に、GW182というタンパク質を過剰発現させた細胞の抽出液を混ぜたところ、標的mRNAの翻訳はlet-7依存的に約30%にまで抑制されました。
このようにして研究グループは、マイクロRNAによる翻訳抑制を再現する試験管内実験系の構築に成功しました。また、アルゴノートとGW182は、let-7に依存して標的mRNAに結合することも実験的に立証しました。
(2) マイクロRNAは翻訳開始段階を阻害
キャップ構造やポリAテールを持たないmRNAを作製して同様の実験を行なったところ、どちらか一方を欠くmRNAの翻訳は抑制されませんでした。また、キャップの代わりに、ある種のウイルスmRNAが持つ特殊な配列を付加したmRNAを使うと、翻訳がほとんど抑制されないことがわかりました。さらに解析すると、let-7によって翻訳反応中にポリAテールが短くなることが明らかになりました。これは、miRNPがポリAテール短縮化酵素を引き寄せるためであると考えられます。
翻訳を開始するためには、翻訳開始因子がmRNAをリボソームに誘導することが必要です。翻訳開始因子は、mRNAの5'端のキャップを認識してmRNAに結合しますが、一方でmRNAの3'端のポリAテールに結合するタンパク質(ポリA結合タンパク質)も、翻訳開始因子をmRNAに引き寄せる働きをしています。このため、mRNAのキャップ構造とポリAテールの両方が存在すると相乗的に機能して、効率的に翻訳が開始します(図3)。したがって、キャップ構造とポリAテールのどちらかを欠くmRNAは、翻訳効率が低下します。本実験系では、マイクロRNAによる標的mRNAのポリAテールの短縮化が進むに従って翻訳が抑制されることがわかりました。これは、マイクロRNAが翻訳の開始段階を阻害することを示します。
3. 今後の期待
マイクロRNAは、最初に線虫で発見されました。また、let-7は、初期発生の制御に関わっていることが線虫で明らかにされ、その後、哺乳類を含む広範囲の生物で保存されていることがわかりました。培養細胞を用いた研究から、let-7が発がんに関係する「Ras(※3)」の発現を制御していることも報告されています。さらに、マイクロRNAの中には、脳にのみ存在するものがあり、シナプス形成に関わるタンパク質の翻訳を抑制することが示されています。このように、マイクロRNAは極めて広範囲の高次生命現象に重要な役割を果たしていることが明らかになってきました。
マイクロRNAの重要性が次第に明らかになり、その作用機序の研究には、より詳細な生化学的解析が求められてきています。2006年のノーベル医学・生理学賞が授与されたRNA干渉の研究は、その詳細な機構の解析に、ショウジョウバエの初期胚をすりつぶして得た抽出液の系が用いられました。そして、その研究成果からsiRNA(※4)が発見され、現在では特定の遺伝子の発現を抑える方法として、ヒトの疾病治療薬にも応用されようとしています。
本研究では、多くのグループが挑戦していたマイクロRNAによる翻訳抑制を再現する試験管内実験系の確立に成功しました。この成果により、マイクロRNAによる翻訳抑制機構の生化学的解析が初めて可能となりました。そして、マイクロRNAが翻訳の開始段階を阻害することを示すという結果を得ました。本研究で開発した方法を用いることで、マイクロRNAを含むmiRNP複合体の機能解析がさらに大きく進展するとともに、初期発生やがんの発症、記憶の形成機構などの解明にもつながり、マイクロRNAの研究に飛躍的な進歩をもたらす可能性があります。
<補足説明>
(※1) ポリAテール
mRNAの末尾にあるA(アデニン)のみが連続する部分。通常は100~200個以上のAが連なる。ポリA結合タンパク質が結合する。
(※2) キャップ構造
mRNAの先頭にある特殊な構造。1974年に国立遺伝学研究所(当時)の三浦謹一郎博士、古市泰宏博士によって発見された。翻訳開始因子は、キャップを目印としてmRNAの先頭に結合する。
(※3) Ras
細胞の増殖を制御するタンパク質の1つで、正常な細胞にも存在するが、アミノ酸が1カ所変わるだけで異常な活性を持つようになる。このタンパク質だけでがんが発症するわけではないが、変異したRasタンパク質は発がんの引き金になる。
(※4) siRNA
RNA干渉を引き起こす21~22塩基長のRNA。RNA干渉が線虫で発見された当初は、長い2本鎖のRNAの導入によって引き起こされる現象として観測されていた。その後Tuschlらの研究により、長い2本鎖から切り出された21~22塩基の短いRNAが機能することが明らかにされ、siRNA(short interfering RNA)と呼ばれるようになった。siRNAは、RISC複合体に取り込まれた後、siRNAに完全に相補的な配列を持つmRNAに結合し、そのmRNAを切断する。siRNAとその相補鎖を化学合成して2本鎖とし、これを細胞に導入することによって、特定のmRNAを切断して、タンパク質の合成を特異的に阻害することができる。