理化学研究所、植物の耐病・耐傷害メカニズムを操る新規のシグナル伝達経路を発見
植物の耐病・耐傷害メカニズムを操る新規MAPK経路を発見
- 病虫害・傷害耐性などストレスに強い植物の開発に期待 -
◇ポイント◇
・植物ホルモン「ジャスモン酸」のシグナルを制御する「MKK3-MPK6」経路を発見
・病虫害・傷害に関わる遺伝子群や根の伸長阻害を制御する重要な経路
・植物の免疫機構を活用し強い植物を開発、食料問題解決の糸口に
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、国立大学法人筑波大学(岩崎洋一学長)との協力で、植物が病虫害や傷害ストレスを受けた時に応答する鍵となっている植物ホルモン「ジャスモン酸(JA:Jasmonic Acid)※1」のシグナルを制御する「MKK3-MPK6」経路を発見しました。さらに、この経路を利用して、病虫害・傷害に関わる遺伝子群の発現を制御する事に世界で初めて成功しました。理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)機能開発研究チーム(篠崎一雄チームリーダー)の高橋史憲研修生らによる研究成果です。
JAは、生長抑制や形態形成など多岐に渡る生長調整作用を示す植物ホルモンです。また、病虫害や傷害などのストレスを受けると合成され、植物の環境ストレスに対する耐性誘導に重要な役割を果たしています。さらに動物では、がん細胞への抑制効果を発揮することが知られており最近注目を集めています。しかしこれまで、JAがどのような仕組みで植物にストレス耐性を付与しているのかは、明らかにされていませんでした。
今回の研究では、傷害・病原菌感染ストレスの情報伝達に関与することが示唆されている動植物に共通的なシグナル伝達分子「MAPK(マップキナーゼ)※2」に着目し、新規のシグナル伝達経路「MKK3-MPK6」を発見しました。また、この「MKK3-MPK6」経路がJAシグナルに関わり、植物の病虫害・傷害耐性における遺伝子群の発現を制御する重要な回路であることを初めて明らかにしました。さらに、JAによる根の伸長阻害も制御する機能を持つことをつきとめました。今回の発見は、植物におけるJAシグナル制御図の全体像を解明する鍵となる画期的な成果です。
昆虫・病原菌や草食動物による食害・傷害は、作物に収量の減少や品質の低下を引き起こすため、農業上の大きな問題となっています。今回の研究成果は病虫害・傷害耐性植物の開発など、農業・園芸分野の応用へ貢献するものと期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『The Plant Cell』(3月号)に掲載されます。
1.背 景
植物ホルモンの一種であるジャスモン酸(JA:Jasmonic Acid)は、脂肪酸の一つであるリノレン酸を前駆体として生合成される物質で、ジャスミン油の香気成分の一つとして知られています(図1)。JAは外敵による摂食などの傷害や病原菌感染、また水欠乏などの環境ストレスを受けた時に合成され、植物がこれらのストレスに対する耐性を獲得するための遺伝子を発現させるシグナル物質として働いています。またメチル化され、ジャスモン酸メチル(MeJA)は揮発性に優れ、気孔から空中に飛散し、傷害を受けた植物の周囲の植物にあらかじめ抵抗性を促す忌避物質としても働きます。
生物はストレスに対して、最初から防御応答機構を用意しているわけではなく、新たなストレスが与えられると、その都度、適切に対処する仕組みを進化の中で作り出してきました。このストレスの受容から応答に至る道筋を明らかにすることは、基礎研究のみならず応用研究にも役立ちます。しかし、JAに関する研究が進み始めたのはごく最近であるため、JAシグナルに関わる因子はほとんど明らかになっていません。これまで、傷害・病原菌感染ストレスの情報伝達には、MAPK(マップキナーゼ)が関与することが示唆されていましたが、JAが細胞内のどのような機構を介して、植物の環境ストレスへの耐性能の獲得に関与しているのかは、まだよく解明されていませんでした(図2)。
植物と昆虫、病原菌、草食動物の間で交わされているJAを介した複雑なメカニズムを詳細に解き明かすことは、農薬に依存せず農作物、園芸植物などの生産性を制御し、とくにこれから直面するとされる世界的な規模の食糧問題に備えるなど、応用・利用につながる新たな光になると考えられます。
2.研究手法と成果
植物が傷害や菌の感染を受けるとJA量が増加し、JAの作用によって、害虫の摂食を抑えるプロテアーゼインヒビター(タンパク質分解酵素阻害物質)や、病原菌の感染を防ぐ様々な感染時特異的タンパク質を全身に誘導します。また、新たな菌の感染に備える全身獲得抵抗性などの防御機構を活性化します。この防御機構は、植物が昆虫・病原菌や草食動物による食害・傷害に耐えるために獲得した免疫機構と呼べます。
今回の研究では、シロイヌナズナに約90の遺伝子が存在するMAPKファミリーの中で、特に植物特異的な構造を持っているMAPKKの1つであるMKK3に着目しました。詳細な解析からMKK3はMAPK の1つであるMPK6を活性化し、新規のMAPK経路「MKK3-MPK6」として働くことを発見しました(図3)。MKK3-MPK6経路の生理機能を探索する目的で、MKK3経路を強制的にONにし、約22,000遺伝子の発現変動が一度に解るマイクロアレイを用いて解析を行いました。その結果、MKK3-MPK6経路は植物の病虫害・傷害耐性に関わる遺伝子群の発現を制御することが明らかとなりました(図4)。さらにMKK3経路は、JAシグナル伝達で主要な働きをするbHLH(basic helix-loop-helix)型転写因子※3であるATMYC2の遺伝子発現を制御することで、JAを介した防御機構を活性化することが明らかとなりました。
これらのことから、JAの生理応答を伝達する情報伝達経路を初めて見つけただけでなく、MKK3-MPK6経路が植物の傷害・病原菌感染ストレス応答において、重要な働きを持っていることを初めて明らかにしました。一方、過剰にJAが生産されると、根が伸長阻害を引き起こすことが知られていました。しかし今回、MKK3、MPK6を過剰に発現させたシロイヌナズナにJAを過剰投与すると、根の伸長阻害に対して耐性を示しました。逆にMKK3、MPK6遺伝子の働きが失われた植物体では、根の伸長に対して感受性を示しました(図5)。
つまり、MKK3-MPK6経路の働きを強めることによって、病虫害・傷害に対する防御機構を活性化するだけでなく、本来JAによって引き起こされる根の伸長阻害に対しても耐性となり、ストレスのかかっていない植物のように生育させることが可能となりました。この結果は、遺伝子工学によるMKK3-MPK6回路を用いた応用利用への可能性を秘めており、植物の昆虫・病原菌や草食動物に対する耐性機構を制御するための礎となることが期待されます。
3.今後の期待
現在、農業生産高は、発展途上国を含めて多くの国で頭打ちとなっています。このため、人口の増加などでやがて訪れる世界的な食糧問題に対して確実な打開策が必要になるとされています。病害虫による農作物などの生産量の損失は甚大で、その実被害は、世界全体での損失量の約40%にも上ると報告されています。これは生産現場に新品種や肥料が導入されている反面、病害虫対策が追いついていないのが一つの原因と言われています。
植物ホルモンJAのシグナル伝達を制御する技術は、植物と病害虫、草食動物との間で繰り広げられてきた複雑な生存戦略を上手く利用して、病虫害に耐性を持つ植物を作出し、農業における生産性を向上させることにつながる可能性があります。実際、MKK3やMPK6遺伝子と塩基配列が類似した遺伝子は、他の植物種にも存在しています。今後はイネやマメ、ジャガイモ、トウモロコシなどの有用植物を用いて、生産高の違いや虫を寄せ付けない成分の効き目などを評価することも重要になってきます。
さらに動物細胞においては、JAががん細胞に対して抑制効果を示すことも報告されています。MAPK回路は動物にも存在することから、今回明らかとなったMAPK回路を介したJA情報伝達の仕組みは、創薬開発などの医療応用面へ展開する道標になることも期待されます。
<補足説明>
※1 ジャスモン酸(JA)
植物ホルモンの一種。動物細胞の生理活性物質として知られるプロスタグランジン類と同様な5員環ケトンを持つ化合物である。ジャスモン酸は植物体内のどこでも合成されるが、隣接する場所だけでなく植物体内の別の離れた部位にも輸送される。植物個体間での移動は昆虫による摂食傷害を受けた際などに起き、ジャスモン酸メチルに変換されることによって揮発性を上げ、飛散してシグナルを伝達する。
※2 MAPK(マップキナーゼ)
酵母から動物に至る真核生物に広く保存されているリン酸化タンパク質の一群。増殖因子などによる細胞外からの刺激を伝え,細胞増殖や細胞分化において中心的な役割を果たすシグナル伝達経路として知られている。細胞外環境の情報を生物が受容すると、そのシグナルがMAPKKK(マップキナーゼキナーゼキナーゼ)→MAPKK(マップキナーゼキナーゼ)→MAPK(マップキナーゼ)の決まった順に、リン酸化を介して伝達される。シロイヌナズナにはMAPKKKが60、MAPKKが10、MAPKが20遺伝子存在することが示唆されている。
※3 bHLH(basic helix-loop-helix)型転写因子
bHLH型転写因子は動物と植物に共通して存在することが知られている。HLHはループを介した二つのαへリックス構造からなる2量体形成部位であり、この部分でDNAらせんの主溝に入り込み特定のDNA塩基配列を認識し結合する。シロイヌナズナには約140遺伝子存在することが示唆されており、全転写因子の約9%を占める最大のファミリーを形成している。