理化学研究所、脊椎動物の一種であるヌタウナギの人工飼育に成功
世界初:人工飼育環境下でのヌタウナギ胚の発生と観察に成功
- 脊椎動物の進化および起源の解明に大きなヒント -
◇ポイント◇
・ヌタウナギは分子発生生物学的にも脊椎動物の仲間と実証
・脊椎動物と同じ神経堤細胞の確認と形成過程を観察し、証明
・ヌタウナギ養殖技術応用に期待
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、最も原始的な脊椎動物の一種とされているヌタウナギの胚発生を人工飼育下で行うことに世界で初めて成功しました。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)形態進化研究グループの倉谷 滋グループディレクターと太田 欽也ならびに工楽 樹洋研究員による成果です。
脊椎動物のなかでも最も原始的で、顎を持たない円口類の祖先は、人類を含めた現存する他の脊椎動物と約5億年前に分岐したと考えられています。現在生存が確認されている円口類のグループはヤツメウナギ類とヌタウナギ類の2種類で、これらの胚発生の過程を知ることは、脊椎動物の起源とその後の進化の過程を明らかにするために非常に重要な糸口となります。この2種類の円口類のうちヤツメウナギ類の発生については盛んに研究がなされている一方で、ヌタウナギ類については深海性であるために生態がよく知られていないことや、卵が得にくいため、約100年前に米国の研究者B・ディーンが海中から得られた胚をもとに報告して以来、長い間その詳細な発生は謎に包まれていました。
太田研究員らは、人工飼育環境下でヌタウナギを発生させることに世界で初めて成功し、得られた胚の発生過程について組織および遺伝子レベルでの観察を行いました。とりわけ脊椎動物に特徴的な神経堤細胞※1の形成過程を詳細に観察したところ、原始的な外見のヌタウナギ類にも、我々人間を含めた他の脊椎動物とほぼ同様の神経堤細胞の存在が確認できました。この成果は、脊椎動物の初期進化過程を理解するために重要であり、脊椎動物の体を形作るための基本的な仕組みが非常に古い起源を持っていることを明らかにしたことになります。
成体のヌタウナギは韓国を中心に食用されており、近年その漁獲量が減少していることから、養殖技術開発への期待が高まっています。今回の成果には学術的な価値とともに、産業への貢献の可能性も見出すことにもなりました。
本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature』(3月18日号)に掲載されます。
1.背 景
現存する脊椎動物は大きく、顎口類(ヒト、サメなど顎を持つ仲間)、ヤツメウナギ類そしてヌタウナギ類の3つに分けられます。近年のDNAデータを用いた解析によれば、ヌタウナギ類はヤツメウナギ類と系統的に近い関係にあり、同じ円口類として分類されています。しかしながら、古くからヌタウナギ類を学術的にどのように取り扱うかは、動物学者の間で長らく議論されてきました。
18世紀まで、ヌタウナギ類はその原始的な外見から、脊椎動物とはみなされていませんでした。しかし、19世紀中ごろから、この動物が脊椎動物の進化を知る上で重要であることが認識され始めました。とりわけ、その発生過程を他の脊椎動物と比較することの重要性に対する意識が高まり、世界の各海域で調査が行われました。しかしながら、米国の研究者B・ディーンが1899年に詳細な発生過程について報告して以来100年以上もの間、多くの熱心な調査活動にもかかわらず、ヌタウナギ類の発生学についてはほとんど進展のないまま今日に至っています。
100年以上進展がなかった理由として、ヌタウナギの仲間が深海性であり、その生理、生態についての研究が十分に行われていないうえに、卵の入手が困難であったことが挙げられます。
2.研究手法
太田研究員らは、まず受精卵確保のために、日本近海に生息するヌタウナギの仲間で比較的浅い海(~200m)に分布する種類に注目しました。島根県の沖合の海域で成体のヌタウナギを地元漁業者の協力を得て50尾前後捕獲し、これらの個体を実験室に持ち帰り、産卵のために最適化された水槽内で飼育しました。その結果、約50個の卵を水槽内で確認し、7つの受精卵をそれらの卵から得ることに成功しました。
得られた胚のうち6つは組織観察(HE染色法※2)および遺伝子発現解析(In situ hybridization法※3)を行うために固定され、残りの一つの受精卵は遺伝子発現解析のための標識遺伝子の単離のために用いました。
遺伝子発現解析に用いた遺伝子はSox9(ソックスナイン)を含む合計5つの遺伝子で、いずれも、他の脊椎動物で発現する組織や細胞がよく知られており、生物間での発生プログラムの違いを研究するうえで適した遺伝子といえます。そして、ヌタウナギでの観察結果をヤツメウナギ類およびヒトを含めた顎口類と詳細に比較することで、脊椎動物の体が進化の過程でどのように形成してきたかを考察しました。
3.研究成果
技術的な成果としては、人工飼育下でヌタウナギの受精卵を得たことがあげられます。現在まで、自然環境下から受精卵を得た報告はありますが、水槽内での産卵、および受精に成功した例は世界で初めてです。この技術的な成果により、卵の入手が困難であるがために100年間ほとんど進展がなかったヌタウナギの発生学に大きな可能性をもたらしました。
そして、この研究のもっとも大きな学術的発見として、組織観察および遺伝子発現解析手法に基づいて、「移動する神経提細胞」の存在を証明したことが挙げられます。神経提細胞は脊椎動物を特徴づける独自の細胞として知られてきましたが、ヌタウナギ類にこの細胞が存在するか否かは進化発生学的議論の対象となってきました。今回の研究で太田研究員らは、他の脊椎動物で神経提細胞に発現することが知られているSox9遺伝子などを含めた5つの遺伝子を用いて、神経提細胞の同定に成功しました。
この発見は、外見上は原始的な形態を残しているヌタウナギにも、我々ヒトを含めた顎口類や、ヤツメウナギ類とほぼ同様の発生プログラムが備わっていることを意味しています。また、脊椎動物の体の形を作り出すための基本的仕組みが5億年前という古い起源までさかのぼれることも物語っています。
さらに、この発見はヌタウナギ類の進化系統樹上での位置づけを考える上でも重要なデータとなりました。ヌタウナギ類とヤツメウナギ類が同じ円口類に分類されることはDNAデータを用いた分子進化学的手法によって提唱されてきました。また一方で、ヌタウナギ類があまりにも原始的な形態であるため、この生物を「脊椎動物の祖先型」とみなす考えもありました。それを裏付けるかのように、ヌタウナギ類が不完全な神経堤しか持たないという見解が報告されたこともあります。今回、ヌタウナギ胚の神経提も移動性の細胞を産することが確認され、DNAデータの示唆するように、ヌタウナギとヤツメウナギが近縁の動物であるという説を支持する結果となりました。
なお、今回の発見では、ヌタウナギ類の胚の発生速度をどう見積もるかが重要なカギとなっていました。今回得られた受精卵が観察に最適な段階の胚になるまでに約4ヶ月間を要しました。これは今までの報告をはるかに上回るもので、この非常に遅い発生速度がこれまでの多くの研究者の失敗の一因だったと考えられます。
4.今後の期待
現在、盛んに研究されている一般的な脊椎動物のモデル生物としてマウス、ラット、ニワトリ、メダカ、ゼブラフィッシュなどが挙げられますが、これらの動物はすべて顎口類です。これらの顎口類のモデル生物から理解される生命現象が脊椎動物全体でどの程度普遍的であるのかを知るためには、円口類との比較が重要となってきます。今まで、発生学においては、その比較の対象となる円口類は主にヤツメウナギ類でした。しかしながら、今回の成果により、不可能とされたヌタウナギ類の産卵、受精が水槽内で可能となり、ヌタウナギ類についても胚発生の研究が可能となりました。今後、モデル生物の発生過程に見られる生命現象を、進化的文脈に沿って、正しく理解するために、ヌタウナギ類の発生学は大きく貢献してゆくと考えられます。具体的には、脳下垂体、鰓弓、甲状腺といった脊椎動物において重要な組織や器官がどのように進化の過程で形成されてきたかを知る上で、今後重要な役割を演じることとなります。
さらに、上で述べた学術的な進展だけでなく、産業的な可能性も見出されました。成体のヌタウナギは韓国を中心に食用にされており、近年、その漁獲量が減少していることから、養殖技術として応用されることも期待されます。
<補足説明>
※1 神経堤細胞
脊椎動物に見られる細胞で、胚発生の過程で背側から胚体内の各所へ移動し、頭部骨格、全身の末梢神経細胞、色素細胞、内分泌器官構成細胞など、多様な細胞のもととなる。
※2 HE染色法
標準的な色素を用いた組織観察法。
※3 In situ hybridization法
特定の遺伝子が体の中のどこで発現しているかを観察する方法。
*以下参考資料は、添付をご参照ください。