理化学研究所、統合失調症の発症関連遺伝子群を日本人で発見
統合失調症の発症関連遺伝子群を日本人で発見
- 統合失調症の病因解明・治療に新たな道 -
◇ポイント◇
●2つの人種で発見されていた原因遺伝子を日本人でも確認
●カルシニューリン系遺伝子に新たな原因遺伝子を世界で初めて見出す
●統合失調症の発症原因の解明や新たな治療薬の開発にも期待高まる
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、幻覚や妄想などの症状を起こす精神疾患の一つである統合失調症※1の発症に関与している遺伝子群を発見しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)分子精神科学研究チームの山田和男研究員、吉川武男チームリーダー及び理研-MIT脳科学研究センター※2(利根川進センター長)による共同研究グループの成果です。
統合失調症の発症には、いくつもの遺伝子と環境要因などが複雑に関与し、また人種によっても危険因子が異なる可能性があります。中でもカルシニューリン※3系遺伝子は、これまでの研究から人種を超えた共通の原因遺伝子と考えられています。研究グループでは、日本人における統合失調症患者家系(124家系)の協力を得て、カルシニューリン系遺伝子を網羅的に解析し、統合失調症に関与するカルシニューリン系遺伝子を複数同定することに成功しました。そのうちの1つの遺伝子(PPP3CC遺伝子)は、これまで2つの人種で確認されていたものです。今回、新たに日本人でも、その関与が明らかになったことにより、人種を越えた共通の原因となる統合失調症の候補遺伝子と考えられます。さらに、PPP3CC遺伝子とは独立して、転写に関与しているEGRファミリー遺伝子※44つのうち、3つの遺伝子が統合失調症の発症に深く関与していることを世界で初めて突き止めました。
カルシニューリン自体は、中枢神経系に多く発現している酵素です。カルシニューリンは、統合失調症により変調が示唆されている“ドーパミン神経伝達※5”や“グルタミン酸神経伝達※6”を調整する作用があります。カルシニューリン系遺伝子群が疾患に関与しているという新たな発見は、今までの統合失調症に関する知見を包括的に説明できる可能性を秘めています。また、今回の成果を踏まえ、カルシニューリン伝達系を標的とした、統合失調症の新たな治療薬の開発が期待されます。
本研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS』のオンライン版(2月20日付)に掲載されます。
1.背 景
統合失調症の発症には、複数の効果の弱い遺伝子群の複雑な相互作用が関与していると考えられており、今までの研究から人種・民族間ではその組み合わせが異なる可能性も示唆されています(遺伝的異種性)。これまで、疾患に関連する候補遺伝子としていくつかの遺伝子が単独で報告されていますが、それぞれの研究で単独で見つかった遺伝子間の相互作用などは明らかになっていません。また、主に薬理学的研究から統合失調症の発症にはドーパミン神経伝達系及びグルタミン酸神経伝達系が関与していると考えられてきました。しかしながら、これらの神経伝達系の異常を包括的に説明する知見は得られていません。
カルシニューリン(Calcineurin: protein phosphatase 2B)は、神経系では非常に重要な情報伝達機能を果たしており、記憶や神経細胞死などでの研究が進んでいます。理研-MIT脳科学総合研究センター(米国)のセンター長である利根川進MIT教授らのグループは、カルシニューリンが生体内で果たす役割に注目し、カルシニューリン系遺伝子を欠損したマウスを用いて研究を進めてきました。その結果、2003年、カルシニューリン系遺伝子欠損マウスには行動異常※7が見られ、その特徴が統合失調症の行動パターンと酷似していることを突き止めました。さらにマウスで得られた知見を基に、統合失調症患者の遺伝子を解析したところ、世界で初めてカルシニューリン触媒サブユニットの一つであるカルシニューリンA γサブユニットをコードするPPP3CC遺伝子の変異が、統合失調症に関与している可能性があることを明らかにしました。
カルシニューリンは、神経系では発現が強く、非常に多彩な機能を持つと考えられています。特に統合失調症において興味深いことは、カルシニューリンがドーパミン神経伝達系とグルタミン酸神経伝達系の下流に位置しており、双方の情報伝達を収束し、他の情報伝達系に橋渡しする役割を果たしている可能性がある点です。
これらの知見を踏まえ、研究グループでは、日本人の統合失調症罹患者でカルシニューリン関連遺伝子群の研究を行いました。
2.研究手法と成果
(1)カルシニューリン関連遺伝子のスクリーニング
研究グループでは、まず始めに日本人統合失調症患者家系(124家系)を対象に、14個のカルシニューリン神経伝達に関与する遺伝子群*(図1)に存在する84個の一塩基多型(SNP)を用いて、網羅的な解析(伝達連鎖不平衡テスト)を行いました。その結果、14個のカルシニューリン系関連遺伝子のうち、統合失調症患者とPPP3CC(染色体位置: 8p21.3)、 EGR2 (同:10q21.3)、 EGR3 (同:8p21.3)、 EGR4(2p13.2)の4遺伝子に関連性があることが見出されました(図2)。さらに統合失調症罹患者の死後脳を調べたところ、EGR1、EGR2、EGR3遺伝子の発現が前頭前野皮質で減少していることが確認できました。死後脳におけるこの変化は、気分障害※8罹患者の死後脳では見られませんでした。
これらの結果は、日本人統合失調症罹患者において、カルシニューリン神経伝達系の4つの遺伝子の関与を示唆するものです。PPP3CC遺伝子については、利根川教授らの研究により白人系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人で確認されており、日本人でも統合失調症との関連が見出されたことから、人種、民族を越えた共通の原因となる統合失調症の候補遺伝子と考えられます。さらに、転写に関与するEGRファミリー遺伝子に属する4つの遺伝子のうち3つの遺伝子で統合失調症との関連性が世界で初めて発見されたことにより、EGRファミリー遺伝子群が何らかの役割を果たしていると考えられます。
*14個のカルシニューリン系関連遺伝子
PPP3CA、 PPP3CB、 PPP3CC、PPP3R1、 PPP3R2、 EGR1、 EGR2、 EGR3、 EGR4、 PPP1R1B (DARPP32)、FKBP5 (FK506 binding protein 5)、FKBP1A (FK506 binding protein 1A)、RYR3 (ryanodine receptor 3)、CDK5 (cyclin-dependent kinase 5)
(2)PPP3CC遺伝子およびEGRファミリー遺伝子群の統合失調症との関連
EGRファミリー遺伝子の中でも、EGR3遺伝子は、従来の連鎖解析研究で、統合失調症の候補遺伝子の存在が強く疑われていた染色体8番短腕に存在しており、PPP3CC遺伝子からはわずか(252 kb)しか離れていません。強い連鎖領域には複数の関連遺伝子が存在し、さらにそれらが機能的に関係している可能性があります。そこでPPP3CC遺伝子とEGR3遺伝子がそれぞれ独立して疾患発症のリスクに寄与しているのか、あるいは2つの遺伝子の効果は区別できないのかどうか調べるため、この領域(8p21.3)の関連シグナルを詳細に解析しました。
まず始めにPPP3CC遺伝子およびEGR3遺伝子を含む染色体8番短腕(8p21.3)領域(564 kb)について、49個のSNPマーカーを用いた詳細な連鎖不平衡・関連シグナルの検討を行いました。その結果、PPP3CC遺伝子とEGR3遺伝子は異なる連鎖不平衡領域に存在し、それぞれに独立した関連シグナルであることが確かめられました(図3)。さらに、PPP3CC遺伝子領域に強い関連シグナルがある家系を除外した再解析では、EGR3遺伝子領域により強い関連シグナルが検出されました(P=0.0004)。これらのことから、2つの遺伝子はそれぞれ別に統合失調症発症リスクに寄与していることが示されました。
次に、統合失調症罹患者の死後脳でのEGRファミリー遺伝子のメッセンジャーRNAの発現についてquantitative RT-PCR アッセイ法※9を用いて調べました。調べた脳部位は、統合失調症で機能異常が示唆されている背外側前頭前野(dorsolateral prefrontal cortex, DLPFC, Brodmann’s area 46)です。その結果、統合失調症ではEGR1、EGR2、EGR3 遺伝子発現が有意に減少していることが確認できました(図4)。
一方、PPP3CC 遺伝子発現には、統合失調症罹患者脳と対照者脳との間に差はみられませんでした。また、EGR4についてはこの部位での発現量が少ないため、信頼できるデータが得られませんでした。
(3)EGR3遺伝子に存在する多型の検討
関連シグナルおよび遺伝子発現の結果から、EGRファミリー遺伝子は有力な統合失調症関連候補遺伝子であると考えられ、特にEGR3遺伝子については関連シグナルの強さと染色体上の位置から注目に値すると考えられます。そこで、EGR3遺伝子の全遺伝子領域(約10 kb)について、統合失調症患者のDNAサンプルを用い、塩基配列の再確認(リシークエンス)を行いました。その結果、これまで未報告であったものも含め15個の遺伝子多型(SNP)を同定しました。中でも遺伝統計解析に適すると考えられた6個の多型について関連解析を行ったところ、イントロン1に存在するIVS1+607A>G(イントロン1の607番目の塩基がアデニン〔A〕もしくはグアニン〔G〕)について最も強いシグナルを検出しました(図2)。さらに、この領域のハプロタイプ※10解析(連鎖不平衡にある変異の組み合わせでの検討)を行い、危険因子および防御因子となるハプロタイプを決定しました(図5A)。
次に、関連シグナルが他の日本人統合失調症罹患者群でも再現されるのかを確認するために1,140人の患者および健常者との比較研究を行い、IVS1+607A>Gおよびハプロタイプにおいて、家系サンプルと一致した関連シグナルを検出しました。
IVS1+607A>G 多型は、イントロン1に存在し、イントロン1はタンパク質をコードしないにもかかわらずマウスからヒトまで非常によく塩基配列が保存されています。このことは、イントロン1が機能的に重要であることを示唆しています。そのため、問題の多型が遺伝子発現にどのような影響を与えるかを調べるため、神経由来の細胞株を用いたルシフェラーゼアッセイ※11を行いました。その結果、イントロン1領域にはエンハンサー活性があり、塩基としてグアニン(G)を持つ配列はアデニン(A)を持つ配列よりも高い転写活性を示しました(図5B)。統合失調症では、対照群に比べてアデニン(A)を持つ人が多く、そのためEGR3遺伝子の発現が脳内で減少していることが推察されます。
3.今後の期待
統合失調症はいくつもの遺伝子と環境要因などが複雑に関与して発症すると考えられていますが、詳しいことはよくわかっていません。今までの研究では、グルタミン酸受容体とドーパミン受容体を介したシグナル伝達系の2つのカスケード※12の機能異常が重要であると考えられてきました。今回、得られた研究成果は、第3のカスケードとして新たにカルシニューリン神経伝達系が統合失調症に重要な役割を持っていることを提唱するものです。さらに単独の遺伝子ではなく、同じ神経伝達系内の複数の遺伝子の関与を示したことも注目に値します。
またカルシニューリンは、今まで指摘されていたシグナル伝達系の下流で重要な役割を担っていることから、病気の原因を探る病因論的にも興味が持たれます。今後は、“これらの神経伝達系がどのように関連して統合失調症に関与しているか”、あるいは“各シグナル伝達系と統合失調症の諸特徴とは関連があるのかどうか”などを明らかにする研究が必要です。カルシニューリンは、中枢神経系に多く発現している酵素であり、グルタミン酸神経伝達系やドーパミン神経伝達系以外にも、統合失調症関連遺伝子として注目を浴びているニューレグリン1※13やAKT1/GSK3β※14などの神経伝達系とも関連があります。これらの知見を統合すれば、統合失調症のメカニズムを包括的に説明できる可能性があります。
さらに、これまで統合失調症の治療薬はほとんどがドーパミン系神経伝達をターゲットにして開発されてきましたが、薬の効果が出にくい統合失調症患者もいました。今後は、カルシニューリン神経伝達系を標的とした新たな治療薬が開発されることによって、多くの統合失調症患者の予後が改善されることが期待されます。
*補足説明などは、添付資料をご参照ください。