理化学研究所、単一分子と電極間の接合状態を可逆的に制御することに成功
単一分子と電極間の接合状態を可逆的に制御することに世界で初めて成功
- 有機分子を活用した単一分子素子の実現への新たな一歩 -
◇ポイント◇
●単一分子の電気伝導特性を化学反応により可逆的に制御する手法を確立
●分子1個の内部の化学結合を選択的に切断・形成
●個々の分子の種類を見極め、希望の性能を持ったデザインが可能に
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、有機単一分子と金属電極間の接合状態と、電気伝導特性を可逆的に制御することに世界で初めて成功しました。理研中央研究所(茅幸二所長)川合表面化学研究室の片野諭客員研究員、金有洙専任研究員、堀雅史研修生(平成18年度)、川合真紀主任研究員および、米国のイリノイ大学シカゴ校(シルビア・マニング学長)のマイケル・トレナリ教授(Michael Trenary教授)らによる研究成果です。
最近のエレクトロニクス素子(※1)開発では、より大量かつ高速な情報処理を可能にする単分子素子が新たな開発ターゲットとされており、世界各国で熾烈な競争が繰り広げられています。中でも有機分子を用いたエレクトロニクス素子は、その機能や電気伝導特性を自在にデザインできるという、従来の半導体素子では実現できない優れた特長を持っており、大きな期待が寄せられています。同研究グループは、単分子素子を実現するために特に重要な、分子と電極間の接合状態を可逆的に変えることに成功しました。具体的には、有機分子にメチルイソシアニドを用い、白金電極と一本足で結合している状態で水素ガスを混入させ、白金の触媒作用によってメチルアミノカーバインを形成し、二本足で結合する状態に変え、電気伝導を変化させました。さらに、原子レベルの分解能を有する走査型トンネル顕微鏡(STM)(※2)を用いて吸着分子内部の特定の化学結合を切断する化学反応を引き起こし、元の一本足の結合状態に戻すことに成功しました。この二つの化学反応が単一分子で可逆的に起こることを実証したのは、世界で初めてのことです。本研究によって、多彩な分子の性質を利用する単分子スイッチや単分子トランジスタなど、単分子素子を実現する新たなロードマップを示すことになります。
本研成究果は、米国の科学雑誌『SCIENCE』(6月29日号)に掲載されます。
1.背 景
近年、高速かつ大量処理に応える素子の微細化に伴い、単一の有機分子をスイッチ、トランジスタなどのエレクトロニクス素子として機能させる試みが盛んに行われています。有機分子に対する期待は、分子の多彩な性質を活用したさまざまな機能を持った分子素子の実現が可能になるためですが、そのためには、電極の原子に接合した有機分子の電気伝導特性を、原子スケールの空間分解能で理解することが重要です。ところが、分子の電気伝導特性において、分子と電極の接合が重要な役割を担うにもかかわらず、これまでこの接合を正面から取り上げた議論はされてきませんでした。
分子‐電極間の接合には、従来チオール末端基が一般的に用いられてきましたが、より優れた電気伝導特性を有する分子‐電極接合系の探索と構築が切望されていました。本研究では、イソシアニド(CN)末端基を接合部にした有機分子を活用して、これまで難しいとされ成功していなかった単一分子化学反応による接合状態の可逆制御を実現しました。チオール末端基の硫黄原子と金原子との化学結合の研究例と比較すると、CN末端基に関する知見は実験および理論の両面において乏しいのが現状ですが、CN末端基は、電気伝導性の良い分子‐電極間の接合を形成できることが期待されていました。
2.研究手法と成果
有機分子メチルイソシアニド(CH3NC; MeNC)は、図1の左側に示すように炭素原子に局在する孤立電子対を介して、電極である白金(Pt)の結晶表面(111面)に吸着します。MeNCは、Ptに対して一本足で直立した形で接合します。
(1)水素付加で接着状態を変える(二本足の接合へ)
このMeNCを吸着させたPt(111)表面に水素ガスを室温で導入すると、Ptが持つ触媒機能が発揮され、有機分子(MeNC)に水素原子が一個入り込みメチルアミノカーバイン(HCH3NC; MeHNC)となってPtと接合します(図1の右側)。その際、水素原子がMeNCの窒素原子に付加することで金属‐分子間接合の配位数が1から2へと大きく変化し、二本足で接着することになります。走査型トンネル顕微鏡(STM)で、MeNCとMeHNCを共吸着させたPt(111)表面を観察すると、両吸着種はSTM像の高さの違いで区別できました(図2(A))。
(2)トンネル電子注入で状態をもとに戻す(元の一本足接合へ)
Ptに二本足で接合したMeHNCにSTM探針から2.8 Vの電圧でトンネル電子を注入すると、STM像の高さがMeNCと同程度の反応生成物P1へ変化しました(図2(B))。Pt電極表面上の各化学種において、非弾性トンネル分光(IETS)(※3)を使って振動スペクトルを計測すると、生成したP1はMeNCと同じ振動スペクトルを表わし、P1はMeNCと同じ分子であると同定できました(図2(C))。トンネル電子の注入によりN-H結合を切断し元のMeNCに戻すことが可能であることが明らかとなったのです。
このように、水素ガスの導入とトンネル電子の注入を組み合わせることにより、イソシアニド末端基を水素で可逆的に化学修飾することが可能となり、単分子スケールで金属‐分子接合をコントロールすることに成功しました。また、理論計算により、この二つの分子の電気伝導度が異なることが明らかで、単一分子の電気伝導度をスイッチングできる可能性が強く示唆されます。今回の成果は、世界で初めて分子1個の反応を可逆的に変えることを実現しただけでなく、有機分子素子開発に欠かせない、電気伝導を可逆的に制御する手法も可能にしました。
3.今後の期待
今回の研究結果は、1)単一分子について分子内の特定の化学結合を選択的に切断・形成する化学反応を可逆的に起こせること、2)分子振動を検知することで反応前後の単一分子の化学分析ができること、3)これらの単一分子化学反応により分子‐電極間の接合状態を制御し、分子の電気伝導度をスイッチングできること、を示しました。今後、分子の電気伝導特性に寄与する因子(分子の種類や構造、分子と電極の接合部の構造と電子状態や分子振動とのカップリングなど)と、それら因子が関与する微視的なメカニズムを明らかにし、多彩な分子の性質を利用した単分子スイッチや単分子トランジスタなど単分子素子を実現する新たなロードマップを示すことが期待されます。
<補足説明>
※1 エレクトロニクス素子
電子(エレクトロン)が持っている電荷を操作するための素子。例えば、各種トランジスタやダイオードなどのエレクトロニクス素子は、この電荷の蓄積、放電、また電子の流れの開け閉めを行うことにより、その動作が設計されている。
※2 走査型トンネル顕微鏡(STM)
先端を尖がらせた針(探針)を、サンプルの表面をなぞるように走査して、その表面の状態を観察する顕微鏡。金属探針とサンプル間に流れるトンネル電流を検出し、その電流値を探針とサンプル間の距離に変換させ画像化する仕組み。本研究では、分子の観察のみならず、探針から流れるトンネル電子を対象分子に注入し、化学反応を引き起こすためのツールとしても使用した。
※3 非弾性トンネル分光(IETS)
トンネル電流が分子を介して流れる際、非弾性的にトンネルする電子のエネルギーが分子の振動エネルギーより大きい値を持つと、分子振動を励起することでトンネル確率が大きくなる現象を用いた振動分光法。特に、STMの探針からのトンネル電流を用いる場合、STMの高い空間分解能により、単一分子の振動分光が可能である。